7.吉野山

【芭蕉自筆影印】
 獨よし野ゝ於く尓堂とりて遣るに まことに山婦可く 白雲峯尓重り 烟雨(エンウ)谷を埋ンて 山賎(ヤマガツ)の家處々尓ちいさく 西尓木を伐音東尓ひゝき 院々の鐘の聲盤心の底耳こ多ふ む可しよりこの山尓入て 世を忘多る人の於保く盤 詩にの可禮 哥に可くる いてや唐土能廬山(ロザン)登い者舞も ま多むへならすや
ある坊に一夜を借りて

 碪(キヌタ)打て我尓き可せよや坊可妻

独よし野ゝおくにたどりてけるに、まことに山ふかく、白雲峯に重り、烟雨(エンウ)谷を埋ンで、山賎(ヤマガツ)の家処々にちいさく、西に木を伐音東にひヾき、院々の鐘の声は心の底にこたふ。むかしよりこの山に入て 世を忘たる人のおほくは、詩にのがれ、歌にかくる。いでや唐土の廬山(ロザン)といはむも、またむべならずや。
ある坊に一夜を借りて

 碪(キヌタ)打て我にきかせよや坊が妻)

 西上人能草の庵能跡盤 奥の院より右の 方 二町計王け入本と 柴人能可よふ道のみ 王つ可に有て さ可しき谷をへ多て多る いとたふとし 彼とくゝゝの清水盤 昔尓可ハらす登みえて 今も登くゝゝ登雫落遣る

 露とくゝゝ心み尓浮世すゝ可者や

若(モシ)これ扶桑尓伯夷あらハ 必口をすゝ可ん もし是 杵(許)由に告ハ 耳をあら者舞

西上人の草の庵の跡は、奥の院より右の 方、二町計わけ入ほど、柴人のかよふ道のみ、わづかに有て、さかしき谷をへだてたる、いとたふとし。彼とくゝゝの清水は、昔にかはらずとみえて、今もとくとくと雫落ける。

 露とくゝゝ心みに浮世すゝがばや

若(モシ)これ扶桑に夷あらば、必口をすゝがん。もし是、杵(許)由に告ば、耳をあらはむ。)

 山を昇り坂を下るに 秋の日既斜尓な禮者 名ある所ゝみ残して 先 後醍醐帝の御(?)廟を拝む

 御廟年経て忍盤何を志のふ草

山を昇り坂を下るに、秋の日既斜になれば、名ある所ゝみ残して、先、後醍醐帝の御(?)廟を拝む。

 御廟年経て忍は何をしのぶ草 )



【句碑】
①東南院
 奈良県吉野郡吉野町吉野山2416

 碪打ちて我にき(?)かせよや坊可妻
(碪打ちて我に聞かせよや坊が妻)

②如意輪寺
 奈良県吉野郡吉野町吉野山1024

 御廟年経て忍盤何を志のふ草
(御廟年経て忍は何をしのぶ草)
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③苔清水
 吉野郡吉野町吉野山 西行谷

 露登久ゝゝ試尓浮世すゝ可ハや
(露とくゝゝ試に浮世すすがばや




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