6.竹内・當麻寺

【芭蕉自筆影印】
①紀行文
 大和能国に行脚して 葛下能郡竹の内登云處は 彼ちり可旧里なれハ 日ころとゝまりて足越休無
 
 王多弓や琵琶尓なくさ無竹の於く

二上山當麻寺(タイマデラ)に詣てゝ 庭上の松をみるに 凡千とせもへ多るなら無 大イサ牛を可くす共云へ遣舞 可禮非常登いへとも 仏縁尓飛可禮て 斧斤の罪をまぬ可禮多るそ 幸尓して多つとし

 僧朝顔幾死(イクシニ)可へる法(ノリ)の松

(大和の国に行脚して、葛下の郡竹の内と云処は、彼ちりが旧里なれば、日ごろと ヾまりて足を休む

 わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく

二上山當麻寺(タイマデラ)に詣で ゝ、庭上の松をみるに、凡千とせもへたるならむ。大イサ牛をかくす共云べけむ。かれ非常といへども、仏縁にひかれて、斧斤の罪をまぬがれたるぞ、幸にしてたつとし

 僧朝顔幾死(イクシニ)かへる法(ノリ)の松 )

②「綿弓や」懐紙
 大和乃国竹内と云処丹日比とゞ万利侍る丹 其里乃長也介る人 朝夕問来亭 旅能愁遠慰氣らし 誠楚乃人ハ尋常丹あらす 心盤高き丹遊んて 身ハ芻蕘雉兎(スウジョウチト)乃交(マジワリ)を奈し 自鋤(スキ)を荷(ニナイ)て(陶トウ)淵明(エンメイ)可園丹分入 牛を引亭ハ箕山(キザン)乃隠士(許由キョユウ・巣父)を伴ふ 且 其職を勤て職丹倦(ウマ)す 家盤貧しきを悦て まとしきに似多り 唯是 市中丹閑を偸(ヌスミ)て閑を得多らん人盤此長ならん

 綿弓や琵琶丹慰む竹乃於く 

(大和の国竹内と云処に日比とゞまり侍るに、其里の長也ける人、朝夕問来て、旅の愁を慰けらし。誠その人は尋常にあらず。心は高きに遊んで、身は芻蕘雉兎(スウジョウチト)の交(マジワリ)をなし、自鋤(スキ)を荷(ニナイ)て(陶トウ)淵明(エンメイ)が園に分入、牛を引ては箕山(キザン)の隠士(許由キョユウ・巣父)を伴ふ。且、其職を勤て職に倦(ウマ)ず。家は貧しきを悦て、まどしきに似たり。唯是、市中に閑を偸(ヌスミ)て閑を得たらん人は此長ならん

 綿弓や琵琶に慰む竹のおく )

③「初春先」懐紙
 葛城乃郡 竹内尓住人有氣利 妻子寒可ら寸 家子由多可尓し帝 春 田可へし 秋 いそ可者し 家盤杏花乃尓保飛耳富帝 詩人をいさ免 愁人を慰寸 菖蒲尓替 菊尓移て 慈童可水尓徳をあらそ者ん事 必と世利

 初春先酒尓梅賣尓本ひ可奈
 
(葛城の郡、竹内に住人有けり。妻子寒からず、家子ゆたかにして、春、田かへし、秋、いそがはし。家は杏花のにほひに富て、詩人をいさめ、愁人を慰す。菖蒲に替、菊に移て、慈童が水に徳をあらそはん事、必とせり

 初春先酒に梅売にほひかな  )


【句碑】
①當麻(たいま)寺・中之坊
 葛城市當麻1263

 僧朝顔幾死尓返る法の松
(僧朝顔幾死に返る法の松)



②興善院廃寺跡
 葛城市竹内604竹の内街道 綿弓塚


 綿弓や琵琶耳慰無竹の奥
(綿弓や琵琶に慰む竹の奥)





一覧へ